長女として生まれる

子どもの頃

約50年前のこと

アポロ11号が 人類史上初めて月面着陸に成功したころ

私は生まれました。

父は24歳。母が22歳の時でした。

当時では珍しく 母はフルタイムで仕事をしていたので

産後2か月弱で職場に復帰したそうです。(今のように産休育休をとる人は少なく退職していた人が多い時代)

私は毎朝 父や母と一緒に出かけ 

母の職場(父も同じ職場)内にあった託児所へ 預けられていました。

今でもなかなか職場内にあるのは レアだと思うのですが

母は恵まれた環境で働いていたのだなぁと 思います。

同じくらいの赤ちゃんたち(みんな職員の子ども)が 12人くらい。

0歳から3歳まで その託児所で私は過ごしていました。

私に当時の記憶は残ってないけれど ぼんやりとしたイメージだけは覚えています。

たくさんの人たちに育てられた

母が仕事の休憩中に 私の様子を見に来ることができたり

仕事が終わったら 敷地内にお迎えに行けばよい。

ミルクや食事,おむつ替えはもちろん,お散歩や昼寝もさせてくれる。

発熱などの対応も医療機関との連携が取れていて すぐ迎えに行けるし

ワクチン接種や診察もしてもらえる。

だから 働くママ達は安心して仕事ができたそうです。(母談)

各職場に こうした環境を整えることができたら 

もっと今の若いお母さんたちも助かるのではないのかな。

どうやって 母の職場の託児所は 運営していたのだろう。

または 今はリモートも進んで その必要は減ってきているのかな。

同じくらいの年の たくさんの赤ちゃんや幼児に囲まれて

保育士さんたちと一緒にすごしていたのも

好奇心の旺盛な性格に影響しているのかもしれません( •̀ ω •́ )✧

people playing soccer on green grass field during daytime

住んでいたアパートの近くには 大きくて広い芝生の公園があり 

毎日 母とバス停からアパートへ帰る途中に寄ったり

休みの日に出かけたりして よく遊んでいたそうです。

なんでも 8ミリカメラを買って公園へ行ったその日に 

私が初めて歩いたとか。

空気の読める あかちゃんですね(笑)

人はその時に やっておくべきことがある

あかちゃんが はじめて『寝返りを打った』 『お座りした』 『ハイハイした』 など

できるようになると どんどん先が楽しみになって

早く立たせようとしてしまったり 

早くできるようになることが 

秀でているかのように思ったりしてしまいがちです。

しかし じつは その一つ一つの動きを 

じっくりと体得していくことが とても重要で  

たくさんの 体の動かし方の基盤となる土台を作っている時なのだそうです。

だから あかちゃんが寝返りをうとうとしているとき

手を貸して コロンとしてあげるのではなくて

寝返りをする体の使い方を 体得しようと 

あかちゃんは一生懸命 トライしているのを笑顔で見守り

一人でできたときに 一緒になって喜び ハグしてあげるのがいいのだそうです。

トライしているとき こちらがじれったくなるくらい 何度もうまくいかなくても

あかちゃんは 何度もトライを続けます。

手伝ってもらってできた『寝返り』ではなくて

自分の力で 『寝返り』を体得したとき あかちゃんは とてもキラキラした表情をしています。

まるで 達成感に満ち溢れているような・・✨✨

そして そのときに身に付けた体の動きが 次のハイハイの動きの土台となり 

四つん這いの姿勢の 腕の力や 首(頭)を持ち上げる動きへと つながっているそうなのです。

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このトライと達成を 自分で体得するチャンスは

人生の中で今しかできないのに

とばしては もったいないと思います。

そう思うと 託児所でも 帰り道でも 帰宅後も

たくさん体を使って遊んだり トライをさせてもらったり

していたそうなので、おかげさまで体は丈夫です。

父母に感謝ですね(●’◡’●)♪

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